闘争と共存

『武』とは戈を止めるという〝守る〟を意味するもの。

しかしそれは対立的考え方であり、争わないにしろ、技を技によって防衛するということになる。

力が弱ければ鍛え、技がなければ修得し、武器がなければ武器を持つという、抑止的思想の元にある。

武術家としての道を歩んできた人生。

理解できたことは、「極まれば相反する」ということ。攻撃するため、守るための技を修得し、

心身練磨、百錬成鋼を行い、能力・技術を高めてきた。そして伝え、研究し、育て、広め、残す。

その結論は『戦わない』こと。

ここ数千年の人類の進化は、この一言に限るのではないかと感じる。

集落同士の争い、領土の拡大、様々な紛争、経済の確保など、全て利益的問題において争いが起きてきた歴史。

闘争の結論は勝敗。

破壊と壊滅、支配と従属、優位..勝負の後には結果的に上下こそあれ『共存』することになる。

ならば、逃走する意味はどこにあるのか?

闘争するエネルギーを最初から共存してより良い未来を気づくことに注ぐべきではないだろうか?

今後も関係性を持たない相手ならば、上下、優劣、勝敗をつける意味すらない。

しかし、共存は闘争がある先にしか発見できないものなのだろうか?

緊張がなければリラックスは難しく、浪費があるから節約の必要性を感じ、ストレスがあるから癒しを求め、貧困があるから豊かを欲し、活動があるから休息する

しなくても良い活動こそ、歴史的伝統と検証的結論から得られるもの。

そして、知識・感性・創造によって具体化できる。そこに勝り闘争へと進む原因は人類が過ちを犯し続ける君臨と利益という欲望。それは得られていなければ、最大の安心・安定がが得られると思っている。それは必ずいつしか崩れ、保とうとする重圧に押しつぶされる時が来る。

発展は利便性を求めているもの。

元々かかっていた時間・労力・経済をいかに最小限、もしくはかからずに達成するか?

それが発展の目指しているもの。その発展を目的として闘争してきたものの結論は自然を破壊し人類に大きなしっぺ返しをし、快適な暮らしにより感覚が鈍る経済成長により貧富の差

この検証結果から何を学ぶのか?

【闘争と共存】

これは相反するものでありながら依存し合う陰陽関係にあると思っていた。

しかしこれを一言に集約して表現できる。

調和

足るを知り、不足を補う。

鍛錬し、向上し、普及して得た結論はこの一言。

自然、経済、国、思想、人種など全ての争いは調和することによって意味をなさないものとなる。

生命によっても同じこと。健康、養生、医療、心理、運動..

「病に打ち勝つ」のではなく『病と調和する』こと。

その兆しは何を意味するのか?

その結論は何を意味するのか?

その回復は何を意味するのか?

現代医療が

〇〇にならないための

〇〇を予防する

〇〇病をなくす

という考えなら、

そろそろ次の段階に来ても良いのではないだろうか?

それを変えない理由が他にあるのではないだろうか?

健康元鴻(けんこうげんこう)

中村元鴻 Genko Nakamura