太極拳の集中講座

理論、哲学、動作、方法、意味

要求は全ての道理なり。

思想、心理、経営、自然、生命に相通じ、読み解くことができる。

宇宙の根源を太極という。

太極は元々無で、動静のきっかけ、陰陽の母である。

ひとたび動けば千変万化を生み、静まればもとの無に帰る。

この自然法則に逆らうことなく、太極拳の技は過不足なく、相手の曲に従って伸ばす。

相手が力強く己が小力の場合は、逆らわずに流すこと、これを「走」という。

己を有利な立場におき、相手を不利な方向や体勢におくことを「粘」という。

相手が速く動けば、自分も速く動き、人がゆっくり動けば、こちらもそれに従う。

千変万化すれども、そのもとの道理は一つである。

型の積み重ねの鍛錬により、はじめて「勁」がわかり、「勁」を理解することによって太極拳の極意に到達する。

しかし、長い鍛錬を経なければ、この境地に達することはできない。

無念無想で氣を丹田に沈め、姿勢を正しくすれば、相手の左右の虚実を察知し、

相手の高低の誘い技をも知り、さらに相手の進退をもわかるというふうに、

相手の動きに応じた自由自在の変化ができる。

ごく軽やかな羽やハエさえも身に触れさせない。

人が己を知らず、己が人を知れば向かうところ敵無しである。

武術の流派も多く、その型(技)も多様だが、

おおむね強い者が弱い者をいじめ、技の快い者が技の遅い者を負かすだけのことである。

力ある人が力なき人に勝ち、遅い人が速い人にやられる。

こんなことは自然の能力であって、鍛錬を積んで得られることではない。

見たまえ、ごく小さな力で重いものをはねのけることができるのは、あきらかに力で勝てるものではない。

また、老人が大勢に勝つことができるのも、老人の技が速いから勝てたのではない。

なんと痛快なことであろうか。

立てば平準の如く。動けば車輪の如し。

偏き沈めば動きは崩れ、双重であれば動きが滞る。

何年鍛錬をしても、応用できなければ、ことごとく人にやられてしまう。

これは「双重の病」を悟らないからである。

もしこの病を避けようとするならば、すべからく陰陽を知らなければならない。

粘は走であり、走もまた粘である。

陰陽は不離であり、相済けてはじめて勁を悟る。

勁を心得て太極拳を練れば、ますます理解が深まる。

そして黙々と修練を重ねると、自然に妙味を会得することができる。

本来は、心を無にして相手の出方に応じるべきものだが、多くの人は誤って近きを捨て、遠きを求めている。

心構えのわずかな差が、修練に千里の隔りをもたらす。

太極拳を学ぶ者は、このことをしっかりわきまえなければならない。

健康元鴻(けんこうげんこう)

中村元鴻 Genko Nakamura